松元ヒロ笑劇ソロライブ
今日で3週連続KAAT大スタジオ通い(笑)
今日はヒロさんのソロライブへ行って来ました。
最初から最後まで笑いっぱなし。
そして涙もあふれて困った(T^T)
悔しくて情けなくて腹立たしくて…
沖縄の基地のことや原発のことや日本人の愚かな習性のことや
腹立たしいことは山ほどあって
それらの怒りに拳をあげるのも方法だけど
私はヒロさんみたいに笑いとともに世の中に訴えたいと思っている。
チャップリンの「独裁者」とか
永井愛の「歌わせい男たち」とか。
そして井上ひさし作品も同じだと思う。
「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、ゆかいなことをいっそうゆかいに」
これは井上ひさし氏の言葉です。
皆さんも機会があったら松元ヒロさんや
ザ・ニュースぺーバーのライブを見に行ってみて下さい。
腹がよじれるほど笑わされます。
なのに彼らのライブは絶対テレビでは放送しません。
情けない国ですね、この国は…
もしかしたらいつか、彼らのそんな活動も規制されるのではないかと、怖くなる時があります。
だから私たちは騙されないように、
自分の眼を大きく見開いて
自分の耳の穴をかっぽじって
自分の頭でしっかり考えて
自分の口で声をあげて
いかなければならないのだとあらためて思い知らされました。
☆ひろりん☆
パンクドランカー観劇
1週間前、私達かやっていたKAATでの公演。
同じ演劇連盟としてはもちろん、若いイケメンがい〜っぱい出てると聞いて(ワォ!)、期待大で向かった。
客層が若い。
出演者か若いから当たり前か。
笹浦効果ではあるまい(笑)
最初、アツスギテ、いや、空調が効いていなかった訳ではない。
セリフが、芝居が熱すぎて、ついていけなかったの、入れなかったの💦
高校生の気持ちから遠〜くに離れてしまっていて、
私、おばさんの感性になってるのかな、って。
その内、出演者の個性が理解出来、話が前後しながら進むと、感情移入が出来る様になってきた。
声質、声の通り等、気になる所もあったけど、総じて技量は及第点以上の若者ばかり。
いや!ひとりいた!
若者じゃないのが!
背中や腰に若者との歴史の差が出てて、リアル40代、いい味出てた。
時の流れは残酷だよ。
脚本家、緑さんのメッセージが、ヒトミに表れていて、笑えなかった。
(笑ったけど(≧∇≦))
最後の子供の話は、あくまても私の好みだけど、なくてもよかったなと。
でも、まささんの最後の言葉は良かったし、命は受け継がれていくものだ、という意味も感じられて、ありかな、とも思うが。
壱座の若い衆達は、観たのかな。
観て、打ちのめされて、刺激を受ければ、色んな扉が開くのにな。
と、姉貴面してみたよ^_^
エネルギーもらっての帰り、食べログで上位の、バンケーキと氷の店「雪ノ下」を見つけて1人カフェ。
皆様、残りのGW、楽しんで下さいまし。 優木かおる
終わっちゃったな(≧∇≦)
本番中は仕込みからバラし迄、めまぐるしく過ぎてしまい、ハッと気が付くともうテニスコートのベンチに座ってたりする…これが人生のメリハリと言うものか… 玉枝
戦後70年
今年は、日本で1945年に戦争が終結してから70年が経つと言う。
経つと言う、という言い方をしたのは、僕は今27歳で、1945年に終結した戦争を知らないからだ。
知らないことは、知ろうとしなきゃわからない。
戦争。
僕にとって、僕の拙い知識での“戦争”とは、
金儲けのためにやるもの。民族、宗教などの違いがこじれて起こるもの。兵器。核兵器。資源。利権。国境。暴力。侵略。虐殺。民族浄化。
総じて「やってはいけないもの」。
これまでの義務教育、ニュース映像、反戦映画、ネットで得た知識の賜です。
でも。
もしも目の前に戦争が降ってきたら?
上の知識は何の役にも立たない。
ここが侵略されて死ぬのか。兵隊として他国へ送り込まれて死ぬのか。地面の上で死ねるとも限らない。空で死ぬのか。海で死ぬのか。銃で死ぬのか。爆弾で死ぬのか。焼かれて死ぬのか。刺されて死ぬのか。毒で死ぬのか。人に殺されるとも限らない。無人兵器で死ぬのか。感染症で死ぬのか。餓えて死ぬのか。覚悟して死ぬのか。不意に死ぬのか。みんなで死ぬのか。一人で死ぬのか。一瞬で死ぬのか。苦しんで死ぬのか。それとも殺しながら生きるのか。耐えられなくて自殺するのか。それらを抱えて生き続けるのか。
その中からですら選べないのか。
多分、僕の想像なんか軽く超える光景が待っているでしょう。
どうすればいいのか。
戦争を起こしては、いけない。
起こしてしまってからでは、遅いのです。
今回、よこはま壱座で戦争に関するお芝居をやることになり、恐らく義務教育?少なくとも高校振りくらいに、戦争という単語を意識した生活を送っています。
それでも日本は平和だから?戦争とは無縁!って空気だから?(ニュースとかよーく見るとそうでもないんですけど)日常とのギャップをとても感じます。
そんな中で先ほど、とある戦争映画を観ました。
観終わって、あらためて思ったことがあります。
音楽、映画、舞台、絵画、おおよそ表現と言われるものは、受け取る側が受け取って初めて、表現として成立し得るということです。
“闇に咲く花”は、太平洋戦争終結直後の日本が舞台になっています。
どうか受け取りに来てください。思い出しに来てください。戦争を体験した人に戦争の記憶を思い出せと言っているのではありません。日常に流れている小さな違和感、目を逸らしたら一瞬で忘れてしまう些細なこと。みんな本当は知ってるはず。どうか感じ取りに来てください。
僕は戦争を知りません。さらに得た知識は狭く薄っぺらいものかもしれませんが、これだけは言えます。
僕は、戦争には断固、反対です。